2012年4月アーカイブ

会いたい

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明日は定休日。

サワーを一杯飲みながら田中好子さんのビデオを見ていたら、亡くなった親友に会いたくなって。

もう会うことはできないのにそんな事を思ったりしてたら涙が出てきちゃった。自分は今お酒を飲んで

美味しい物を食べいているのに、幸ちゃんはできないんだと思うと、辛い。5月3日が納骨とか。

お墓に入る前に抱きしめてあげたい。21日に島田でお別れ会をやった時にお骨を持って来たんだからその時に抱きしめておけば良かった・・・・・・・・、「幸ちゃんは今享子ちゃんの所にいるよ」って励ましてくれる優しい友達もいます。幸ちゃんはいなくなったけれど、自分の周りには大切な姉妹、友人、家族、両親、がいるから、元気出して生活しないといけないね。ガンバ!!!1

 

今日は主人と新東名で富士霊園まで桜見物に行ってきました。以前から一度行きたいと思っていた所だったので、嬉しかったです。満開だった事もあり見物客も平日にも関わらず、大勢見えてました。

桜もさることながら、霊園と言いうだけあってお墓の多いことにはびっくり。どこの区画も管理が行き届いていてとても綺麗でした。

帰りには富士スピードウェイにも寄ってきました。レースはやっていなかったのですが、ヘアレディZの愛好会の人たちが走るところをみられたんです。30台位かな?年に二回ここを借りてみんなで走るそうで、スタンドからみたりピットのところでみたり、良い体験ができました。機会があったらホントのレースもみたくなっちゃいました。

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箱根旅行

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主人と私の還暦のお祝いに子どもたちが箱根に連れて行ってくれました。おばあちゃんも一緒に行く予定だったけど都合がつかず六人で。でも長女のお腹には赤ちゃんがいたから6人半かな。温泉も食事も部屋もサービスもみーんな良かったです。幸せな旅行でした。でもその一方で箱根に着いたお昼頃友人の訃報が入り、覚悟はしていたもののこのタイミングとは。家族も友人の具合が悪いのを知っていたから私は次の日は、友人の所にお見舞いに行くということで別行動にさせてもらいました。家族には自分が家に着いてから友人が昨日亡くなっていたことを伝えたんです。

楽しいやら悲しいやら幸せやら辛いやら、一度にたくさんの感情がごちゃまぜになった二日間でした。

自分も主人も友人も還暦のその年に大切な友人の死。24年3月17日という日は忘れることはないと思う。友人が私に忘れないように選んでくれた日なのかもしれない。友人が亡くなってからふと気がつくと空を見上げている事が多くなったような気がする。会えない。話せない。一緒に笑えない。食事ができない。飲めない。旅行に行けない。さみしいなxxxxxxxxxxxxxxxっぁ。でも3.11の震災にあった人達の悲しみに比べたら、めそめそしてられないかな。

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友人への弔辞

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弔辞

幸ちゃん聞こえていますか?幸ちゃんと約束していたお別れの挨拶をします。幸ちゃんは元気な頃から『私の弔辞頼むね』って言ってましたね。でもその日がこんなに早くに来てしまうなんて、私も幸ちゃんも想定外の事で心の整理なんてとてもできません。悲しくて、寂しくて、悔しくて、心細くて、腹立たしくて、何が何だか解りません。

 

私と幸ちゃんは幼稚園から高校まで一緒だった。高校を卒業した後、幸ちゃんは大学に私は社会人。幸ちゃんが島田を出て行く時に寂しくて泣いたのを思い出します。でも今日の悲しみは比べようもなく大きいです。この日まで姉妹のようにお付き合いをさせてもらい思い出がたくさんある分悲しみも大きくとても辛いです。

 

幸ちゃんは博識で何を聞いても解らないことはなく、歴史に文学、絵画に歌舞伎、野球に相撲、その上食通でもありました。美味しい物があれば持って来ては食べさせてくれ私が歌舞伎を観た事がないと言えばチケットを買って連れて行ってくれた事もありました。温泉にもたくさん行き話もたくさんしました。そして幸ちゃんは両家の御両親の面倒も感心するほど良くみていました。実母が亡くなった時にはかなり落ち込んだと後になってから聞かされました。きっとそのころには病気の自覚症状もあったのではと推察します

 

私に元気がなければ励ましてくれ、迷っていればいくつもの道を教えてくれ、間違っていれば正してくれ、私にとってはなくてはならない人でした。私だけでなく多くの友達もそうだと思います。みんなで集まる時には幸ちゃんはムードメーカー。今日はそのお友達も島田からお別れに来てくれました。本当は21日に島田からお見舞いに来る予定だったのに間に合わなかったのがとても残念でなりません。

 

私は12日から三日間幸ちゃんの家に泊まり、食事をしたり、病院に行ったり話をしたり。話といってもノートに書き留められるくらいのものだった。でもその中に幸ちゃんの優しさをたくさんみることができました。

目の不自由なおばさんの事が気がかりだったのかそこにはいないおばさんに「姉ちゃん食べた?」と何回も繰り返したり、良介は帰って来た?店の方はどう?お菓子はそこにあるよ!。自分の命が終わろうとしているその時まで周りを気にかけていました。そしてご主人は幸ちゃんのリズムに合わせた見事な介護でした。薬はもちろんの事食事にトイレ、幸ちゃんが寒くないように部屋の温度にまで気を配られ、最後の最後まで自宅での介護。幸ちゃんは私に介護とは家族とは人の最後とは、また一つ何かを教えてくれました。

 

癌センターで幸ちゃんが末期がんと言われた時、癌センターの近くの料理屋さんで泣いたり笑ったりしました。私が「幸ちゃんがいなくなると困るからとにかく生きていて」と言うと[二年くらい生きるから大丈夫だよ]とか「震災で突然命を持っていかれた人の事を思ったら解っているだけ良いじゃん」とか淡々と言っていました。でも「忠良と良介が悲しむのがねぇ」って言った時には幸ちゃんの目から涙があふれてきました。

 

そんな事があってから今日まで手の腫れと痛みと向き合いながらの闘病。友達にも親戚にも言わず時期が来たら自分で話すからとの事でした。今にして思うとそれで良かったのかどうなのか聞けるものなら聞いてみたいと思っています。

 

私が最後に頂いた三日間はこの先私が悲しまないで元気に生きていけるように幸ちゃんが用意してくれたんだと思っています。幸ちゃんが人生を楽しく生きたように私はもう少しこの世界を楽しんでからそちらに行きます。私が行く時には、お迎え頼みますね。今から出かける幸ちゃんには、両家のご両親そして小さい頃に亡くなったお兄ちゃんを始め多くの方が出迎えてくれています。道に迷わないで気を付けていってください。

それから忠良さんと良介の健康と幸せをしっかり見守ってくださいね。

名残は尽きませんがしばらくの間幸ちゃんとさよならします。じゃあまたね。

 

平成24322日  友人  渡邊享子

 

 

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